生活でやるこ当関係し

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ほほほ、なんかね、モナコのカジノにスズキアルトワークスなぁんて車で乗り付ける方が、なんか粋な感じがする。中からさらに大金持ちのさらに大金持ちなんかが出てくると、さらに粋かしら? さらに、ばっかり出てくるな。長くなるけれど、私の通っていた学校の校長先生の実際のエピソード。

パリの超高級ホテルに、アメリカ一の一人である大金持ちを迎えに行った。ロビーに「それらしい人」が見当たらない。ふっと、車の方を振り返ると、ホームレスらしき男止汗膏が後席に座っている。あっ、拙い、外に出さなければと思い車に向かう。その時、ホテルのドアマンが、その後席の男に深々とお辞儀をしている。あっ、彼か? 車から追い出していたら、超やばかったんだよな、だって。アロハにバミューダにビーチサンダル、さすがの俺も気付かなかったよ。因みに、この方は大変な紳士だったそうです。粋な方である。

FreeJazzってなに?
十五年前ぐらいに我々の溜まり場的ライブハウスがあった。今は隣人問題で閉鎖。このライブハウスはオーナーの意向が実にクリアー。そう、即興およびフリージャズのみ。「商業的音楽?」と彼が判断したら、絶対に出演できない。私は常連として扱って頂いた。なんどか、彼に注意された。「イサオ、内ではスタンダードだのメロディーは一切止めて欲しい」と。私は
むっとした。だって、フリーなんだろ? 私がなにを弾こうが構わんというスタンスなんじゃ
ねぇーの? と思ったのだ。すれすれセーフだっreenex 膠原自生たのは、私は自己流でしかスタンダードやメロディーラインをやらないから、パスだったのであろう。

彼の心意気には大変な敬意を表していることは、初めにお断りしておく。

「フリージャズの定義」は山下洋輔のエッセイの中に出てくる。「なにをやってもいい音楽、ただし、フライパン、鍋釜がステージに飛んできても自分で責任を取る音楽」と、私なりに要約してしまう。じゃ、私が枯葉だのサマータイムを弾いたって構わないのである。

音楽の一つの方向性。もしかすると、人間の生き方とかに相て来るのかも知れない。「無調性」という概念がある。

調性がないから、メンバーとのコンセンサスも、無関係の関係という哲学的な位置になる。そして、時流からも無関係になる。

私は取り立ててジャズという音楽に固執してはいない。ただ、虐げられたマイナーな人たちが苦しい生活の中から作り上げてきた、私はそういうソウルフルな音に惹かれるのである。正直、心の叫び、音楽の本質の一つと理解している。踊りでもいい。叫びである必要もない。なんか、心奥から出てくるものが音楽だと解釈しているから、作法とかマナー的なものは受け付けない。と、そういう人間も受け付けない。私は、自分のスタイルのある方以外とは、お付き合いしたくない。つまらんからだ。

そう、フリージャズとは、ジャズを取っ払っても構いはしない。「フリーであること」、以上なのだ。一番、これが難しい。たぶん、かなり哲学的な領域に入ってくるし、それを実とは至難であろう。

なぁんちゃってぇ! ってもよ、俺はマジだぜってのっ!

まあ、諸君、裕センセの「難しい会話」ちゅう曲、聴いて頂戴。この記事を理解する一助にはなるべぇー。

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