存続できない

u=977569969,959296080&fm=21&gp=0.jpg

   「ちょっと、待っておくれやす」
 と、奥の座敷に入り、紙切れを持って出てきた。
   「これは、その時に書いてくれはった加賀屋さんがある町名と略図だす」
 そのうち、江戸へ行くことがありましたら、お店に立ち寄らせてもらいますと、社交辞令のつもりで言ったら、律儀にこの紙片を渡してくれたそうである。
   「同じ字だすなあ、加賀屋さんは良い人だした」
 浪花屋の旦那は、思い出すように目を閉じていった。
   「どうただす、このお店で勉強していきはりませんか?」
 旦那は、勘助の目を見て言った。 
   「あんさんも、加賀屋さんみたいに良い人らしいので、うちは大歓迎だす」
 勘助は、この偶然を夢かと思った。

 暫くはこの家の娘、琴音(ことね)の客人として、やがて勘助の事情をすっかり聞いた浪花屋の旦那は、勘助を最初は手代から店で働いてもらおうと考えた。
   「ぜひお願いします」
 勘助は、深々と頭を下げた。



 勘助兄弟は、加賀屋の隠居宅に揃って着いた。父親の看病をしていたお園が、勘助に走り寄ろうとして思い留まった。
   「お園さんは、毎日こうして旦那様の看病に通っていなさるのですか?」
 勘助が訊いた。
   「いえ」
 遅のは、文箱から紙切れを取り出して勘助に見せた。三行半(みくだりはん)の離縁状であった。 
   「糞っ! 仙太郎のヤツめ、どこまで卑劣なのだ」 

 翌日、兄弟が加賀屋のあった場所に行ってみると、看板は越後屋に変わり、厚化粧の女が使用人を叱りつけているところだった。入り婿の分際でお園を追い出して、あの女を女将に据えたのだなと、兄弟は拳を握った。

 加賀屋の暖簾が外され、越後屋の暖簾に掛けかえられた越後屋分店の程近くに、小さな空き店舗が見つかった。勘助兄弟は取り敢えず手付を打って借受け、御上に加賀屋の再建を届け出た。主人は元加賀屋の旦那さま、現ご隠居の加賀屋幸兵衛、後見人として上方の浪花屋左右衛門とした。後見人が大店の浪花屋であり、加賀屋は小さいながらも老舗であったことから、数日後にはもう鑑札が下り、その頃には勘助の妻琴音も遅れて江戸に着いていた。

 まだお店は開業していないが、勘助と耕助は病の店主に代わり同業者へ挨拶のために米問屋の寄合の席に顔を出し、座を見渡したが仙太郎は居なかった。
 勘助は、米を買占め、値段を吊り上げ、庶民には古米を押し付け、暴利を貪る江戸の米問屋のやり口を批判した。
 越後屋朔兵衛は鼻で笑って無視しょうとしたが、店の乗っ取りの手口を突かれたときは、不快感を顕にして言った。
   「若造がなに寝言を言うか、乗っ取りとは、片腹痛いわ、傾きかかった店を、倅が婿入りして立て直したのだ」
 越後屋はそう言って嘯いた。加賀屋の名前では店をので、信用ある越後屋に名を替えたと言うのが朔兵衛の言い分だった。寄合に参加した者の大凡は大袈裟に頷いていたが、その中で何某かの心ある人は、内心では勘助の言い分に同意していた。 

   「私たちの商いのやり方に不満のある者は、商人組合から外れてもらいましょう」
 あくまでも批判をする勘助に、朔兵衛は口を荒げてそう言った。 
   「そうです、止めて貰いましょう。組合から離れたら、商いは出来なく成るでしょう」
   「若造は引っ込め、番頭如きが来る場所ではない」
   「そうだ、そうだ」
 座がざわついた。そのとき、襖が開いて恰幅の良い初老の男が入ってきた。勘助は驚いて言葉を失った。
   「はい、みなさんお邪魔をします。わては、加賀屋の後見人上方の浪花屋左右衛門でおます」

この記事へのコメント